新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で三月大歌舞伎は全日程が中止に。
先月より、昼の部で上演される予定であった「新薄雪物語」のあらすじをお話しておりました。
今回は上演が叶いませんでしたが、古典の名作の一つですので、配役は変われどもいつの日か必ず上演されるはずであります。その際のお役に立てるよう、引き続きお話してまいります。
こまめに手を洗いながらこの難局を生き延び、いつの日か拝見できる日を心待ちにいたしましょう!
三人笑い
新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)は、1741年(寛保元)5月に大坂は竹本座にて人形浄瑠璃として初演され、その3か月後に歌舞伎に移されて京都の早雲座で初演された演目。
17世紀に刊行された人気小説であった仮名草子の「うすゆき物語」や、それに続いて出版された浮世草子の「新薄雪物語」を題材としたものであります。
本当にざっくりとお話いたしますと、
①若い男女が互いに相思相愛になるのだが、
②いろいろあって天下調伏の疑いをかけられてしまい、
③それぞれの父親が命をかけて二人を守ろうとする
というものです。桜の花の咲き乱れる美しい舞台のなかで繰り広げられる、重厚な悲劇であります。子が親のために命を差し出す芝居はたくさんありますが、親が子のために…という芝居は比較的珍しいものです。
主軸はシンプルなのですが人間関係はいろいろと複雑。
詳しいことはさておいて、登場人物の見た目でどんな人なのか判断しながら見ていくと内容がわかりやすくなるのでおすすめです。
それでは今回上演される予定であった花見・詮議・広間・合腹の順に、舞台の上で起こるはずのことを少し詳しくお話していきたいと思います。
「花見」はこちらで
「詮議」はこちらで
「広間」はこちらで
発端となった「花見」の場面、事態が大きく動く「詮議」の場面、「広間」の場面を経まして、いよいよ「合腹」の場面へ移ってまいります。
「広間」と「合腹」の場面の区切りは、ひとつの建物の中で盆と呼ばれる回り舞台がぐるりと回り、別の部屋であることを表現するというものです。
奥へと入っていった園部兵衛。
ぐっと悲しみに耐える梅の方を残したままぐるりぐるりと盆が回りまして、舞台は園部兵衛の館の奥書院へと移ります。
趣のある水墨画的な掛け軸などがあり、洗練された雰囲気のお部屋です。
梅の方がしずしずと書院へ現れて着席しますと、花道より幸崎伊賀守が現れます。
伊賀守は手に首桶を携えていますが、足取りはなにやら妙に重く、息も少し苦しそうなようす。気力だけでようやくここまでたどり着けた…というような雰囲気です。
明らかに体調が悪そうな幸崎伊賀守がやっとのことで着席、きれぎれになりながら「娘は討ってくれましたか」などと話しかけるものの、出迎えた梅の方は徹底的に無言を貫きます。
園部兵衛から「恨み言を言ったり泣き顔を見せるな」と厳しく命じられてはいるものの、やはり我が子・左衛門を殺されたつらさを抑えることができないのです。
そのつらい心の内を幸崎伊賀守もすぐに察し、「それはもっともなことだ…何も聞きませんから…」と配慮。二人はじっ…と無言で列座、張り詰めたムードを漂わせます。
と、そんなところへ花道より、忍んで現れた人物が。園部左衛門です!
「誰かいないか、左衛門がこっそり来たと母に伝えてくれないか…」と館の者にひそひそと声を掛けています。
園部左衛門はすでに殺され、幸崎伊賀守が抱えてきた首桶の中にその首があるはずではなかったのでしょうか…?
そんな我が子の声を聞きつけてしまった梅の方。
大いに取り乱し、「左衛門、まだ生きているの?夢ではないか?」と大慌てで駆けつけようとします。もっともです。
しかし、幸崎伊賀守はそれを厳しく静止。
「万が一左衛門の姿が見えたのなら、それはキツネかタヌキ。幽霊であろう…」というのです。
そのうえ、「必ず来るなという約束を破ったか…成仏の道を忘れたのか…!」と、猛烈な気迫と勢いで窘めます。
それを聞いた左衛門はめそめそと涙にくれながら、すごすご花道を引き返してゆきました…
これは一体どういったことなのであろうか…というところで次回へ続きます。
参考文献:新版歌舞伎事典/床本集/増補版歌舞伎手帖/歌舞伎登場人物事典/日本大百科全書(ニッポニカ)